聖ホセマリアの生涯-45

思いもよらない迫害の中で、聖ホセマリアには気にかかっていることが一つありました。それはオプス・デイの女子部のことでした。

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思いもよらない迫害の中で、聖ホセマリアには気にかかっていることが一つありました。それはオプス・デイの女子部のことでした。女性の指導の場をほとんど告解場だけに限っていたこともあり、この仕事はなかなか進みませんでした。内戦の前にメンバーになった女性もほんの僅かだったうえに、内戦中の長期にわたる孤立のため、その人たちもオプス・デイの精神を失い、戦後は別の道を進むことになりました。女子部の仕事は振り出しに戻ったのです。

女性にオプス・デイの精神にそった養成を与える仕事に、聖ホセマリアはお母さん(ドローレス夫人。写真)とお姉さんの協力を頼み、二人は喜んでそれを引き受けました。もちろん霊的な指導をするのは神父ですが、オプス・デイに固有の家族の雰囲気や家事を教えることに関して、この二人の貢献は計り知れないものがありました。この協力を得て、女性相手の仕事も徐々に成長していきました。

この頃聖ホセマリアは司祭の黙想会の指導のため頻繁にマドリードを留守にしていました。1941年4月にはスペイン東部のレリダに行く予定がありました。その頃、お母さんが風邪を引いたのですが、それほど深刻には見えなかったので、神父は寝込んでいる母親に病気の苦しみを黙想会の実りのために捧げて欲しいと言って出発しました。

それから24時間後、ドローレス夫人の容態は急激に悪化した。母が最期の苦しみと闘っていた頃、レリダでは息子が司祭を相手に「司祭の母親の役割」についての講話をしていました。その講話が終わったときマドリードから訃報が届いたのです。お御堂に入って祈り、子どものように泣きました。悲しみの中で、神が最善のことをされたという信仰は揺るぎませんでした。あのとき以来、神父はこう考えていると言っていました。自分が教区の司祭のために全力を傾けて働いているまさにそのとき神が母親をお呼びになったのは、どれほど自分が司祭を愛しているかをはっきりと示すためだ、と。

すぐマドリードに帰って遺体と対面し再び涙を流した後、母の最期についての説明を受けました。神はみんな取って行かれると不平が口をついて出ました。しかし、今はドローレス夫人が天国から自分の司祭としての仕事を応援してくれるとの確信がありました。

尾崎明夫