イシドロ・ソルサノが尊者として宣言されます

イシドロ・ソルサノが尊者として宣言されます

フランシスコ教皇は12月21日の午後、列聖省に対し、8件の列聖調査に関する教令を発布することを認可されました。その中には、イシドロ・ソルサノ(1902-1943)の諸徳の英雄的実践に関する教令も含まれています。技師であったイシドロは、1930年にオプス・デイへ所属しました。

隣人の気持ちをわかる

人格形成
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愛徳を生きるためには、隣人が心を配るに値する人格であることを認め、その人の立場に立ってものを見る必要がある。「人格形成」シリーズの新しい記事を提供します。

家庭は成長の場(2)

人格形成
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「家庭は成長の場」の後半では、マナー、規律、ユーモアのセンス、祈りの生活などの家族で習う要素を取り上げます

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属人区長の書簡

属人区長の手紙、2017年4月5日

 フェルナンド・オカリス師の2017年4月5日の手紙。聖週間を間近に控えて、キリスト者の生活の中で、イエス・キリストを中心に置くことを、属人区長は思い出させる。.

愛する皆さん、イエスが私の子どもたちをお守りくださいますように!

 聖週間が間近です。これからの日々を、いつも聖パウロと共に改めてmihi vivere Christus est! わたしにとって、生きるとはキリストである!(フィリッペ1,21参照)と言えるように熱心に生きましょう。主は、私たちにとって単なるお手本ではありません。教皇様のあるコメントを思い出します。「私は、信仰は一つの理論や哲学、思想ではなく、出会いです、と言う教皇ベネディクト16世の言葉にいつも心引かれます。信仰とはイエスとの出会いです」[1]。私たちにとって生きることはキリストです。時々、弱さや疲れ、あるいは生活の様々なことが原因で、この現実を見失うことがあるのは確かです。しかし主は常に私たちを待ってお出でです。しかも「主を探し求めていない人には偶然に出会ったようになさる」[2] ほどです。

 愛情をもって福音書を読むことでイエスとの友情を育むことができます。「全てのことはそれにかかっています」[3]。「主を探し求めること、主に出会うこと、主と交わること、主を愛すること」[4]。主のご生活を観想すると、神は常に新しい光をお与えになることにびっくりしてしまうでしょう。時に、福音を読んでも何の実りもなかったように思えることがあっても、後ほどイエスのみことばが唇に上ったり考えに浮かんだり、また主の反応や表情を思い出したりして、普段の生活状況をあるいはいつもと少し異なる生活状況を明るいものにします。問題は福音書のうちに、神のみことばによって憩うことです(これこそ皆のため主にお願いする賜です)。このため、聖ホセマリアの多くの著作によく見られる聖書に関する素晴らしい解説が助けになるでしょう。また、他の多くの教父たちのキリストの生涯に関する著作なども。

 先だっての総会ではイエス・キリストを中心に据えることが強調されました。オプス・デイという「広大な要理指導」において、全て主のご人性を取り上げることが毎回多くなっています[5]。福音書に深く入り込もうと望んで、講話やクラス、説教をする時、あるいは友だちとキリスト教の生活について話すとき、一人ひとりに対する神の愛という大いなる知らせをより活き活きと伝えることができるでしょう。聖アンブロジオが言っています ...