年間第11週日曜日・A年 88 最も効果的な手段

― 使徒職が急務。「借り入れは多いが、働き人は少ない」。 ― 言い訳は無価値。主は私たち全員を使徒職に招かれた。祈りは、最も効果のある手段であり、召し出しを得るのに不可欠。 ― 主に召し出しをお願いする。

年間第11週日曜日・A年

88 最も効果的な手段

― 使徒職が急務。「借り入れは多いが、働き人は少ない」。

― 言い訳は無価値。主は私たち全員を使徒職に招かれた。祈りは、最も効果のある手段であり、召し出しを得るのに不可欠。

― 主に召し出しをお願いする。

88.1 使徒職の緊急性、刈り入れは多いが働き手は少ない

今日のミサの福音には、イエスが神の国の訪れを教えられるために、町や村を巡られたとき頻繁に見られたに違いないことが述べられています。主は群衆を見て、彼らを哀れに思われました。羊飼いのいない羊のような、帰る所を知らず、苦しみ、助けのない彼らを見て、その状態に心を動かされました。羊飼いは羊を守り世話をするのではなく、彼らを蔑(ないがし)ろにして、羊飼いというより狼のように振舞いました。そこで、イエスは弟子たちに言いました。「収穫は多いが、働き手が少ない」。同じことが今日も言えます。仕事が行われたのに働き手があまりにも少ししかいません。出かけて行って刈り入れる人がいないので、収穫物の実りは失われるのです。そのため、緊急に必要なのは、キリスト信者が喜びに満ち、効果的に働き、単純で、教会に忠実であり、自分がしなければならないことを自覚することです。使徒職をとおして、キリストを作業場や大学にもたらす、職人や学生たちを神が必要としておられるので、私たちは皆必要とされているのです。神は、模範的でキリスト教的な見解を持って教える教師、学生に時間を割く教師、本物の教師を必要とされています。神は、あらゆる活動において信仰に生きる男女を必要とされています。神は、子どもたちの教育と信仰に心を砕き、学校の父兄会や自治会の集会に積極的な役割を果たす両親を必要とされています。

私たちは、多くの人々が誤りを犯し、物質的な所有への関心だけで心を満たしたり、持ちたいという望みでいっぱいになったりしているのを見る時、心を動かされないでいることはできません。というのは、彼らは無関心に見えるかも知れませんが、霊魂の奥深くでは、神に飢えています。誰かが神と救いの真理について話してくれることを望んでいます。私たちキリスト信者が、このような問題に犠牲の精神で働かないなら、そのときは預言者ヨエルが預言したことが起こるでしょう。「畑は略奪され、地は嘆く。穀物は略奪され、ぶどうの実は枯れ尽くし、オリーブの木は衰えてしまった。農夫は恥じ、ぶどう作りは泣き叫ぶ。小麦と大麦、畑の実りは失われた」。神は、実りが収穫されることを期待されましたが、刈り入れの人がそれを怠ったせいで、その実りは失われてしまったのでした。

イエスのお言葉「収穫は多いが働き手が少ない」を、私たちは日々、糾明するべきです。今日、神を知らせるために何をしたでしょうか? 誰かにキリストのことを話しましたか? どんな使徒職をしましたか? 友だちと同僚の救いに関心を持っていますか? もし、私がもっと大胆で、模範的に義務を果たすなら、多くの人々が神に近づくようになることがわかっていますか?

88.2 言い訳はできません。神は、すべての人が使徒であるように招かれています。祈りは、召命を得るための最も効果的で必要な手段です

キリストを他の人々にもたらさないために数多くの弁解がなされています。手段の不足、不十分な準備と時間、私たちが世の中のほんの片隅に住み、人を殆ど知らない、または、居住地域内でも距離が離れているといった言い訳です。けれども、神は私たち皆に、特に、宗教的無関心がひどいこの時代に、「収穫は多いが働き手が少ない」ことを思い出させてくだっています。ちょうど良い時に蓄えられなかった収穫物は失われます。聖ヨハネ・クリゾストモの次の言葉は、私たちが祈りの中で、神が望まれるような使徒であるという崇高な呼びかけに、あまりにも簡単に言い訳をしていないかどうかを知るために役立つかも知れません。「他の人々の救いに無関心なキリスト者ほど冷淡な者はいない。貧しさを言い訳にしてはなりません。小銭を与えたやもめは、あなたを責めるでしょう。ペトロ自身が言いました。『わたしには金や銀はない』(使徒言行録)。また、パウロはあまりにも貧しかったので、度々、飢えに苦しみ、生きるために必要な物に欠いていました。ですから、あなたたちは粗末な素地を弁解にしてはいけません。彼らの素地もまた、質素で粗末なものでした。知識の不足も口実にはなりません。彼らは学問のない人々でした。奴隷であろうと脱走者であろうと自分にできることをしなければなりません。オネシムスはそのような人でした。ですから彼の召命を心に留めなさい。自分が健康でないことを言い訳にしてはいけません。テモテは度々病に伏していました。私たち一人ひとりにできることをすべて行うなら、隣人のために役に立つことができます」。私たちは、神に忠実でありたいと思います。すべてできることを果たすなら、私たちは忠実であるでしょう。

「収穫は多いが働き手が少ない」。大聖グレゴリオは次のように評しています。これを聞いた時、私たちは悲しみを覚えざるを得ません。良い知らせを聞きたいと思う人々がいるのを知っているからです。しかし、見当たらないのは、このような良い便りを伝える人たちです

自分に相応しい場所で、協力して働く多くの人々がいるので、私たちは、イエスご自身の示された道に従いさえすればよいのです。刈り入れのために働く人を送ってくださるよう、刈り入れの主に祈り求めなさい。イエスは私たちが、神が救いの業にもっと協力していきたいという望みを、多くの霊魂に目覚めさせられるようにと祈ることを願っておられます。「使徒を獲得するために、祈りほど効果的な方法はない」。また、人々に彼らの召命を発見させるためにもそうです。新しい使徒を獲得したいという望みは、まず、継続し、信頼した、謙遜な請願に表されていなければなりません。すべてのキリスト信者は、神が刈り入れのための働き手を送ってくださるように祈らなければなりません。このように神に召命を願うなら、使徒職においてもっと大胆であるべき義務があると感じるでしょう。このようにして、刈り入れのための働き手を勝ち取ります。

88.3 神に召命を願う

弟子たちを送り出すことによって、イエスはいろいろな町や村を訪れる準備をしました。彼らの仕事はすべて、使徒職の準備だけでした。彼らは、イエスご自身が訪れようとしているすべての町に入って行きました。 すべての使徒職は、神が人々のもとを訪れるときに頂点に達します。

刈り入れは多い。私たちは、絶えず神に、キリスト信者の男女が、自分たちの生涯の召命の意味に目覚めるように願わなければなりません。つまり、ただ善良であるだけではなく、神の呼びかけに寛大に応えて、神の刈り入れの働き人になるようにと望むことかもしれません。この世で神に奉献している老若男女、多くの人は使徒的独身で、同僚と同じように世俗の活動をして、社会の真っ只中にキリストをもたらす普通のキリスト信者です。

刈り入れの主に祈りましょう。私たちはまた、司祭職や修道生活への多くの召命、つまり教会が非常に必要としている、忠実で聖、そして喜びに溢れた召命があるように祈らなければなりません。

贖いの業をご自分だけでやり遂げることがおできになった主は、神の国の素晴らしさと要求を告げ知らせるために、町や村、大学や工場に前もって出かける弟子たちを頼りにしたいと望んでおられます。母なる教会は、委託と聖性の道を歩む人々を必要としているのは明らかです。ロ一マ教皇たちは、私たちに、使徒的召命の必要性を思い出させることを止める事はありません。世界の福音化は、大部分、このような人たちの手中にあるからです。

「私がこう叫ぶのを手伝ってほしい。イエスよ、使徒となる人たちをお送りください。あなたのため、あなたの光栄のためです。必ず聴き入れてくださることが分かるだろう」

このような召命を勝ちとるために何をしているでしょうか? この召命は、人々の子どもたち、兄弟、姉妹、親戚、友だちや知り合いの中から出なければなりません。神は多くの人々を招いておられることを忘れないようにしましょう。多分、毎日接する人々に向けられる神の呼びかけを促し励ます恩恵を、神に願いましょう。

聖母に、主の言葉を重視するように助けてくださいと願いましょう。刈り入れは多い、私たちにできることすべてを、緊迫感を持って、常に継続して行う決心をしましょう。このように、神の刈り入れのために多くの働き手がいることを理解しましょう。他の人々を招くために、イエスに使用される道具であることの喜びをくださいと主に願いましょう。「善い知らせがあります。また新たに〈狂人〉が一人…、網に入りました」。これは、喜びに躍(おど)り上がる〈漁師〉の手紙である。願わくは、神があなたの網を〈効果で満たして〉くださいますように(『道』808)。 神は決してその〈漁師〉をお忘れになりません。

マタイ9:36,10:8

ヨエル1:10-11

聖ヨハネ・クリゾストモ,Homilies on the Acts of the Apostles,20

St Gregory the Great, Homilies on the Gospels, 17

聖ホセマリア・エスクリバー,『道』,800

ルカ10:1 参照

聖ホセマリア・エスクリバー,『道』,804