属人区長の書簡

属人区長の手紙(2018年1月9日)

「自由への愛と朗らかさを皆さんへの遺産として残したいと望んでいます」と聖ホセマリアは語っていました。この教えに関連づけて、属人区長はこの書簡において、その遺産に感謝をし、自由というたまものについて考えを深めるよう招きます。

PDF>属人区長の手紙(2018年1月9日)

* * *

愛する皆さんへ。イエスが私の子供たちを守ってくださいますように。

1.ここ数ヵ月の間、総会の方針に従ってしばしば自由について言及してきました。今、この手紙では、生涯にわたり自由を愛した聖ホセマリアの教えに沿って、この神の偉大なたまものについて考えたいと思います。聖ホセマリアは、「子どもたちよ、私は倦むことなく繰り返します。オプス・デイの精神にとって最も明らかな特徴の一つは、自由と理解を愛することです」[1]と書き記しています。この言葉を読み返し、黙想するにあたり、神に感謝しないわけにいきません。と同時に、この言葉を自分の生活において実践するには、どうすべきかを、各々、神の恩恵の助けを受けて検討しましょう。こうして、一人でも多くの人が「神の子供たちの栄光に輝く自由」(ローマ8,21) に与ることができるよう助けるために、よりよい準備ができるでしょう。

人々と国々が自由を熱望し、自由を要求するということは、私達の時代の肯定的なしるしです。人間一人ひとりの自由を認めることは、誰もが人格を持つ人間であることを認めることです。すなわち、各々が自らの行為の主人・責任者であり、自らの生き方を定める能力があることを認めるのです。自由が各々に備わっている最良のものを常に発揮させるとは限りませんが、自由の重要性は幾ら強調しても足りません。自由がなければ、愛することができないからです。

多くの場所で真の自由に対する大きな無知が広がっています。とても残念なことです。制限のない空虚な自由を追い求め、まるでそれが進歩の究極目的のように考えられることがあります。その一方で、悲しむべき様々な抑圧や、自由に見えるものの実際は人間を隷属させている鎖があることを嘆かないわけにはいきません。いずれも、遅かれ早かれ虚しいものであることが明らかになるでしょう。教皇は書いておられます。「神から離れていれば自分は自由だと考える人もいますが、彼らはいつでも帰ることのできる家を失った、孤児のような生き方をしていることに気づいていません。旅する者であることを止め、さすらい人」[2]となっているのです。

自由を得るために召し出された

2.私たちは、「自由を得るために召し出されたのです」(ガラテア5 ...