属人区長の手紙(2017年2月14日)

この司牧書簡は、去る1月に開催された一般総会の結論についての解説である。

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PDF式 ►属人区長の手紙 (2017年2月14日).


愛する皆さん、イエスが私の子どもたちをお守りくださいますように!

1. 皆さんに書き送りたいと思っていたことを今、より詳細にしたためることにします。この手紙を通して、去る1月にローマで開かれた一般総会で決定されたことを伝えたいと思います。2010年の際のドン・ハビエルのように、オプス・デイの重み、人々への務め、この小さな私たちの家族を前進させる責任を、皆に感じてもらいたいと思うからです。私たちは全教会と共に、聖パウロが記したように世界を神と和解させようと望んでいます(2コリント5:19参照)。これは、神の恩恵なしには不可能な、とてつもない課題です。

教会の一部であるこの小さな家族のパドレとして初めてしたためた手紙で引用した聖ホセマリアの言葉のように、私たちの時代を贖い、聖化し、人々の熱望を理解し、分かち合うことが私たちに課されているのです。ここで今一度その言葉を引用することにします。「人間の存在や運命についての信仰の教えに対して、現代人がすべて閉鎖的で無関心であるとは思いません。現代の人々が地上のことのみに関心を持ち、天を見上げようとしないというのも当たっていないと思います。閉鎖的なイデオロギーに事欠かず、またそれを支持する人々もいることはいますが、今日でも、大きな志とさもしい態度、英雄的な行為と卑怯な行為、夢と偽りが存在します。今以上に人間を尊重する正しい世界を夢見る人々もおり、最初に抱いた理想が挫折し、幻滅を感じて自己の安寧のみを求め、いつまでも過ちの中に低迷している人々もいるのです。

男女を問わずこのような人々すべてに、どこにいても、有頂天になっているときも、危機感や挫折感に襲われているときも、聖霊降臨後、聖ペトロが厳かに告げた次の知らせを私たちは伝えなければならないのです。「この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です。ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」(使徒言行録4:11-12)[1]

皆がペトロと共にマリアを通ってイエスのもとへ

2. 教皇様は、教会にとっては、福音の喜びを宣言しつつ世界にキリストを告げ知らせるペトロです[2]。一般総会では、まずローマ教皇に対する私たちの子としての一致と、聖ホセマリアが一度ならず祈りに使い私たちに教えた、omnes cum Petro ad Iesum per Mariam(皆がペトロと共にマリアを通ってイエスのもとへ)[3] と言うことを再確認しました。

教皇フランシスコに感謝しましょう。中でも、いつくしみの特別聖年、信心と節制の模範、世界中に差し向けられた使徒職の熱意、人々、中でも最も助けの必要な人たちへの心遣いを示してくださったことに対して感謝しましょう。また、そのペトロとしての権能によって、ドン・アルバロの列福を決定されたことに対しても感謝しましょう。さらに総会は、聖ホセマリア、福者アルバロ、ドン・ハビエルの後継者として私をオプス・デイの頭とするよう教皇が承認してくださり、私が選出されたのと同じ日にオプス・デイの属人区長に任命してくださったことにも言及するよう望みました。すでにしたためたように、戸惑いを感じたと同時に無限の愛である聖霊がもたらしてくれた一致を嬉しく思いました。私は、自己の限界にもかかわらず、父なる神の愛情に包まれて、一人ひとりの良いパドレとして生きることだけを望んでいます。また、教皇様が2月1日付で、私を聖母のご保護に委ねる励ましの手紙をくださったことにも感動しました。

岩の上に建てること

3. 子どもたちよ、豊かにもたらされる恩恵にどのように応えましょうか。聖ホセマリアが伝えたオプス・デイの精神をそっくり自分のものにし、忠実に伝える望みを新たにしましょう。キリストにおける神との親密な父子関係を支えにし、世の塩となり光となるため(マタイ5:13-14参照)、専門職と日常生活のあらゆる状況において神を求めましょう。キリスト者の召し出しは、人となられたみことばとの神秘的な一致に向かわせるほどの偉大なものです。聖ヨハネ・パウロ二世が第二バチカン公会議の表現を使って大胆に言われたことがありました。「洗礼の恩恵によって、人は永遠の神の御子の誕生に参与し、神の養子、つまり御子において神の子になるのです」[4]

4. ドン・ハビエルは聖ホセマリアの忠実な子どもであり、神の良い子どもでした。この忠実さこそが自己の存在理由でした。一般総会は、1994年から2016年まで私たちの属人区長であった彼の生活と教えに感謝を表しました。また、属人区のすべての信徒と聖十字架の司祭会の会員たち、オプス・デイの協力者からの望みを反映させ、教会と神の民の一部であるオプス・デイへのドン・ハビエルの愛を強調しました。ドン・ハビエルは、牧者として豊かな愛徳の模範を残しました。それは、教皇と司教職におけるすべての兄弟たちとの一致、また使徒職の熱意と病人や困っている人たちを思いやる積極的な行動に表れていました。ですから、皆さんも喜んでくれることと確信し、ドン・ハビエルの全き献身の生活と教えに関する思い出や証言を収集するよう、総会参加者たちと他の多くの人たちが提案したことを伝えます。

他方、総会は、様々な国でオプス・デイの信徒の列聖調査が順調なこと、その神への愛と ―中でも特に尊者イシドロ・ソルサノと尊者モンセラート・グラセスが― キリスト者として証しした世の真っただ中での生活の喜びを多くの人が見いだすために、その私的信心を広めることの重要性を確認しました。主は、聖人たちの功徳を称えることによって、ご自身が与えられた賜物を称えます[5]。私たちは、聖人たちを通して限りなく聖であられる神をほめたたえ、聖性の望み、すなわち神と人々への愛を新たにするのです。

5. オプス・デイのセンターの管理部は〈使徒職の使徒職〉であり、いわばオプス・デイの〈屋台骨〉[6] のようです。オプス・デイの家族の雰囲気を醸し出し、訪れる人々にそれを実感してもらうために、管理部がなくてはならない存在であることを、総会は一度ならず強調しました。この賜に対して、主がこの仕事を祝福し、十分な数の召し出しをお送りくださるように、また家事の価値と尊厳を示す輝かしい模範となるように祈ることを通して応えましょう。オプス・デイの女性たちは、管理部が果たしているそれらの奉仕を、現在の状況や必要に合わせて見直してみましょう。それは、家族の雰囲気を維持し、人間的家庭的な品位を保ち、各センターを本当のベタニアとするためです。

6. 総会は、守護役としてドン・ハビエルの世話にあたった人たちへの感謝と共に、年配の兄弟や病人たちが、自分たちの限界を喜びのうちに単純に捧げ、オプス・デイが世界中で展開している福音化の事業の進展を助け続けていることに感謝を表しました。沈黙のうちになされているこの後押しには、愛情と寛大な奉仕の精神で丁寧にその人たちの世話にあたっている人たちの働きも加わっていることを確信しています。これは、聖ホセマリアから受け継いだ伝統に沿ったことであり、家族の精神の重要な側面です。子どもたちよ、どのように年配の兄弟や病人たちを世話するかに、何と多くのことがかかっていることでしょう!

また一般総会は、これまでの間に、オプス・デイに協力するために故国を離れて異国に赴き、新たな国で使徒職を始めた兄弟姉妹のことにも思いを寄せました。ドン・ハビエルが再三繰り返されたように、あらゆるところで多くの素晴らしい人たちが私たちを待っています。

形成という冒険における今日的な挑戦

7. 使徒職の活力は聖霊からもたらされますが、それは、オプス・デイが信者に与える深い形成に支えられてきたものであり、「世界全体において大いなる要理教育をする」[7] と言うオプス・デイの使命につながっています。総会は、現在の状況に見合った形成の内容を幾つか強調するよう望みました。それを列挙したいと思います。それは、属人区の各地域や各センター、子どもたちの各家庭や一人ひとりが、恩恵の光と力を受けて、もっとできることは何か、そして何よりも、すでにしていることをどのように改善できるかを見極めるためです。

8. まず考えられたのは、私たちが知り、付き合い、愛したいと望んでいる御方、イエス・キリストを中心に据えるということです。イエスを中心に生活するとは、社会の中での観想者として祈りを深め、人々を「観想の道」[8] に導くことです。それは、新たな光で人間学とキリスト教の様々な修徳手段の価値を再発見すること、人間の全体像、つまり知性と意志、心、他者との関わりを見極めること、愛を持ってすべてのことができるような内的自由を育むこと、一人ひとりが神の望みを見いだし、責任をもってそれを引き受けるため、良く考えるよう助けること、主意主義や感傷主義から抜け出すため神の恩恵への信頼を深めること、自分と他者の弱さを受け入れるよう教えつつ、完全主義と混同することなく、キリスト信者としての生活の理想を示すこと、以上のことから派生する結果をすべて引き受けて、日々神との父子関係に支えられた希望ある委託のうちに過ごすことです。

こうして、全面的で喜びに満ちた献身によって、私たちの召し出しが持つ使命の意味が強められます。というのも、私たちは率先力と自発性をもって、今の世界と文化をよりよいものにするために貢献するよう呼ばれているからです。そうすることによって、人類のための神の計画が展開されるのです。「御心の計らいは代々に続く。」(詩編33:11)

このような意味から、この世のものから離脱し、神にのみ心を向けて生きる望みを皆が持つよう助けることが必要です。自由であるのは愛するためです。これこそ、私たちの清貧、節制、離脱の精神の意味することであり、教皇フランシスコが強調しておられる福音の側面でもあります。

さらに私たちは、教会を愛していますから、使徒職的事業の進展のための手段を獲得し、プロとしての大きな夢をもってあらゆることに取り組むよう促されます。未だ学生で社会を建設していく大きな望みを抱くべき人たちも、すでに仕事についている人たちも、正しい意向をもって、より遠くに到達し足跡を残すという聖なる野心を燃え立たせるのはふさわしいことです。同時に、すべてのヌメラリーは、必要であれば形成と統治の任務に同じプロ意識を持って携わるために、どんなことも寛大に引き受ける積極的で寛大な心構えを持つように勧めます。

9. この広大な展望は、オプス・デイの草創期のような使徒職進展の熱意を新たにさせてくれます。それは福音の喜びをあらゆるところに伝え、多くの人が「イエス・キリストの魅力」[9] を感じとるようにするためです。創立者は言っていました。「大きな家族になりたいと思うなら、私たちがより良くなることです」[10] と。こう考えることで、私たちの内に新たな緊急感が漲るように願ってやみません。それは、神の恩恵と人々の自由で寛大な応答によって、多くの ―神がお望みなだけの― ヌメラリー、アソシエート、スーパーヌメラリー、そして聖十字架司祭会の司祭の召し出しが増えるためです。

自由と召し出し。それは人生における本質的な二つの次元であり、相互に関わり合っているものです。私たちは自由です。それは、私たちを呼んでおられる神を、愛そのものであり、神と人々を愛するために私たちの内にその愛を注がれた方を、愛するためです[11]。この愛徳によって私たちの使命が完全に理解されます。それは「突発的で一時的なものではなく、いつもするべき使徒職であり、召し出しによって、この使命遂行を全生涯の理想とするのです」[12]。神と人々への愛を理想とすることによって、私たちは多くの人たちとの友情を育むように動かされます。使徒職をするというのではなく、私たち自身が使徒なのです! こうして、教皇様が私たちに、優しさと寛容さをもって個人的な付き合いをする重要性を想起しつつ度々話される、「出向いていく教会」を実現していくことができるのです。

この「神が信じる者たちに呼び起こそうとしている『行け』という原動力」[13] は、一種の戦略ではなく、造られたものでない愛である聖霊ご自身の力なのです。「キリスト者、すなわち神の子にとって、友情と愛徳はひとつである。つまり、それは熱を与える神的な光である」[14]。未だに福音化を必要としている現状で最優先させるべきことは、個人的な付き合いです。聖ホセマリアは、この使徒職のやり方を福音の中に見出しました。「愛する子どもたちよ、オプス・デイの使徒職の最も大きな実りは、メンバー各自が個人として行う模範と、忠実な友情の使徒職によって手に入れるものです」[15]

形成を与え、受ける

10. 形成の手段を準備し与える時、成長させてくださる神の恩恵(1コリント3,6参照)によって、人々の魂における実りを考えることは活力になります。まず超自然的な手段を頼みにするのは当然なことですが、それに加えて、私たちが神と出会う場である現代世界を希望的にとらえ、肯定的で励みになるような分かりやすい話し方をする工夫も大切です。こうして人々が社会生活に積極的に参加するよう助け、家族生活や社会生活において、オプス・デイの精神に基づく生活の一致を実際に示すことができます。それこそが、考え、祈りそして生きる本物のキリスト者の生活だからです(ヨハネ4:24、ローマ12:1、2テサロニケ3:6-7参照)。

11. 兄弟愛と、友情と打ち明け話の使徒職とに欠かせない諸徳があります。謙遜と共に、喜びと寛大さ、人々に対する誠実な関心です。それによって、相手を理解し、様々な意見を尊重するようになります。話し合いにおける肯定的な態度は、様々な問題解決を容易にします。結局、創立者が教えた「平和と喜びの種まき人」[16] になるよう努めることです。また、平和とは反対に、いささかでも不快感を醸し出す原因になったと思ったなら、スポーツマン精神で自らを正すことです。私たちのセンター、アソシエートやスーパーヌメラリーの家、聖十字架の司祭会の司祭のいる所では、温かな家庭の雰囲気が溢れていなければなりません(詩編133:1、ヨハネ13:34-35参照)。

ドン・アルバロは、そこにいるだけで周りの人々を平和にし、落ち着きを与えていたことが思い起こされます。私たちに教えたことを、自身で生きておられたのです。「家族の精神は非常に本質的ですから、私の娘や息子一人ひとりが常に身に帯びているはずです。非常に強いものですから、私たちのいるところがどこであっても、その周囲にはすぐさま家庭的な雰囲気が創り出されます。というのも、家族であること、家族だと感じることは、必ずしも同じ屋根の下に住むことによるのではなく、オプス・デイの最初の瞬間から主がお望みになった親子の誼(よしみ)と兄弟愛の精神によるものだからです」[17]

12. 人々を献身的かつ的確に助けることができるよう、個人的霊的指導を委ねられている司祭あるいは信徒の形成に特に留意してくださるよう主に願います。神の恩恵によって、心の奥底で語る聖霊の働きかけ(マタイ10:20参照)を惜しみない心で引き受けるよう促さなければなりません。良い模範と、職業上あるいは家庭や社会生活の義務を丁寧に果たすことが、人々を主に従うよう助けるために不可欠です。創立者は私たちに、真の奉仕であると理解している自分の仕事における信望こそが、「人を漁する釣り針」[18] であると教えました。信仰は知性を照らし、人生の意味を悟らせ、キリストにおける真の命に導く新たな展望を理解させます。

13. 使徒職事業において指導的な役割に携わっている人たちの持続的な専門職的形成に力を入れるのは、非常にふさわしいことです。その人たちの統治力と、人々やグループの指導力を伸ばすように努めることです。使徒職事業のキリスト教的精神、その運営の質、社会への貢献度を強化する大きな責任があります。連帯的統治は、急ごしらえの対応にならないための技法です。つまり、耳を傾け、自分の考えを変え、様々な意見を交換し、一人ひとりが貢献でき得ることを最大限に評価することです。

教会において

14. 新たな福音化を実らせるためには、疑いなくカトリック信徒同士の親交が大切です。教会の信徒間において、また存在し得る様々なグループ間において相互理解を促進させることは、神の子どもであるこの大きな家族の一員である私たちの使命です。「キリスト者がこの世で実行すべき第一の使徒職、言い換えれば、最も効果的な信仰の証しは、真実の愛が教会を支配するよう手を貸すことです」[19]。このため必要なことは、各問題にふさわしい方法で、教会の他の諸団体や諸組織の人々との関係において、あり得る誤解を解き、他の人たちが推進している活動のため主に祈り、集団としての謙遜を生きることです。

15. 司祭や神学生に対する援助もまた、教会と社会の善のために重要なことです。聖なる十字架の司祭会のアソシエートとスーパーヌメラリーは、オプス・デイへの召し出しに完全に与るがゆえに、すべての使徒職に新たな活力を注ぐ第一線の大切な働き手です。自身の教区司教だけに属するという点を尊重しつつ、愛してやまない自己の教区で通常繰り広げる全面的で直接の司牧活動を通して働くのです。

オプス・デイの全信者は、自分の住む教区の司教や司祭たちのために祈り、親密かつ敬意をもって接し、可能な範囲で協力するよう招かれています。それは、自分の専門職や家庭の諸義務の聖化を邪魔しない限りのものであるべきです。

司祭たちに対しては、ゆるしの秘跡についての教皇様の言葉を思い起こしてもらうだけに留めます。すべての人を心から受け入れ、神の優しさの証し人となり、自己を見つめることを助け、明快で、いつでも用意があり、賢明で、寛大でありましょう。大きな心で、ゆるしを与える神の無限のいつくしみの神秘を執り行いましょう[20]

属人区の一部の信徒や協力者や若者たちが、自由に個人的な責任で、要理指導、結婚講座、教区や他の必要なところでの福祉活動に協力するチャンスを活用するよう励ますのもいいことです。ただし、いつもそれは、世俗の者として、また社会人としての立場にふさわしい奉仕であると認められるような活動であり、また、いささかも属人区の権限下の活動ではありません。他方、教会と社会に多大の貢献を果たし、現在も果たし続けている修道士たち、修道女たちに触れておきたいと思います。創立者は「修道者を愛し敬わない人は、私の良い子どもではない」[21] と断言しておられました。さらに、教区司祭だけではなく多くの修道者たちが、自分の召し出しはオプス・デイの温かさのお陰だと考えていることを嬉しく思っています。

一般総会は、教会に仕え、人々を注意深く見守るため、使徒職活動を促進し連携させる最も良い方法を、建設的で柔軟な発想で考えるよう提案しました。例えば、労力の経済性を図るため、あるいは喜びと愛情にあふれた家族生活を満喫するために、ときどきオプス・デイの幾つかのセンターを一つにまとめること。人々が実際にいる場所で形成の手段与えるために、適した設備と柔軟な計画を整えた拠点を準備すること。その場所とは、働いている人が多い町の中枢部に当たる地区、都市が発展していく地域、学校や大学の近くなどです。

使徒職の新たな目標

16. 総会は2002年の総会での呼びかけの一つを再び取り上げることにしました。ドン・ハビエルがこう述べた点です。「イエス・キリストにおける神の子の栄光に予定されている人間の品格にふさわしい、新たな文化、新たな法律、新たなファッション」[22] を作り上げていくことです。属人区の全信者と聖ラファエル職の若者たちや協力者たちは、この新たな文化の推進者となり、現代社会の相対主義的な考え方を克服すべきです。それには、各人が可能な範囲で、人間的、職業的そして教義的な形成を深める必要があります。また、すべての人たちと付き合うことを可能とするような視野の拡大に役立つフォーラムへの積極的な参加も考えられます。

人々と真摯に付き合うことによって獲得できる確かな影響力と、恒久的な改善を望むことによって培う個人的な〈言葉のたまもの〉が必要です。それによって、隣人を威圧することも独りよがりに陥ることもなく、人々の向上心に訴えて、現実に対するキリスト教的視点に説得力を持たせるほどの影響を与えることになるからです。一人ひとりが有する欠点に左右されることなく、人としての尊厳と社会の共通善に敬意を払い、他の市民と協力しつつ落ち着いて責任をもって働くことは、様々な社会環境の中で、キリスト教的価値観の美しさと魅力を明白にします。

17. 社会生活における複雑で様々な分野のことを理解するには、その道の専門家の助けが必要です。例えば、デジタル技術を駆使した情報網、教育活動の追求、広報機関、大学の経営管理、病院やクリニックの経営管理、社会福祉活動、基金の創設と運営などのような分野です。仕事の上で競争があるのは社会人としての立場の一部であり、同時に司祭的な魂を有する者としての望みでもあります。すなわち、創造の業の完成と、世の贖いを共に実現することです。

新たな文化を推し進めていくためには、特に複雑な諸問題に対して、正しい判断基準 ―キリスト教的な人間学をベースにした基準― で対処できるよう、各分野の専門家たちを養成することが必要です。そのような問題の一例を挙げるならば、人種、平等、良心的忌避、信教の自由、表現の自由、生命倫理、コミュニケーション技術などです。これらのテーマについて学ぶのにふさわしいところは、大学や種々の研究所でしょう。

さらに、慎重かつ大胆に、まず若者から始めて、各人が正しい考えを持つためにふさわしい形成を計画することが重要です。単に保守的な姿勢を保つだけに終始することなく、様々な見解の真意を見極め、皆から学び、相手の自由を細やかに尊重しつつ、多様な意見があり得る事柄においてはなおさら、他の人々と話し合うことが必要です。

18. 福者パウロ六世の有名な言葉があります。「現代人は、教えを述べる人よりも、証しする人の言葉を喜んで聞きます。教えを述べる人の言うことを聞くのは、その人が証しする人だからです」[23]。現代の文化においては、信じやすい形でメッセージを発信することが大切です。ですから、キリスト信者の生活を人々に伝える時には魅力ある証人を起用することがふさわしいのです。世論のリーダーたちの養成に加えて、教会について、またそのふところの中にある属人区オプス・デイについての広報活動を推進する必要があります。瞬時に多くの人の元に届くソーシャル・ネットワークを活用することもできます。このような活動の発展は、それに携わる人たちの寛大さと独創性にかかっています。

19. 友情と打ち明け話の個人的な使徒職と並んで、総会は共同あるいは個人の使徒職事業への支持も表明しました。その使徒職の効果は、実践されている全人的な形成によって実証されています。教え、育み、他者への奉仕の道を開いています。より多くの人たちと接し、その人たちを恐れや悲しみから解放してくれるキリスト教信仰の富へとゆっくりと導くことが求められます。信仰を日常生活に根付かせるには、家庭や生徒や学生などそれぞれに適した形成の手段がなければなりません。そのためには、人々に興味を持たせ、良く準備することが必要です。

20. 社会の福音化と使徒職事業の維持発展のためには、両親と子どもたち双方に、幼児期の初めから人間的キリスト教的形成を与える新たな教育施設を考える必要があります。このような共同あるいは個人としての使徒職事業の創設を禁じる、あるいは困難にするような法律が存在するところでは、そのような状況であっても、属人区の司祭の霊的配慮を受ける可能性を見出すことができるでしょう。

家族の重要性

21. 教皇様が二番目の回勅で教えておられます。「私たちはまず家庭の中で、いのちに対する愛と敬意の示し方を学び、また、物を適切に利用すること、整頓することと清潔にすること、地域の生態系を尊重すること、すべての被造物を気遣うことを教わります。家庭の中でわたしたちは、人格的成熟における調和のとれた成長を可能にする全人的な教育を受けるのです」[24]。人は未来を信じて時間と共に成長します。ですから、家庭において希望の徳の深い意識を培うことが必要です。

結婚の準備のため、また夫婦間の相互の愛や家庭におけるキリスト者としての生き方を維持するため、さらに祖父母や両親や子どもたちが秘跡、中でもゆるしの秘跡に与るように促すために、具体的な方法を研究する必要があります。キリストはあらゆる年代の人を受け入れます。無駄な人や余分な人は誰一人としていません。

総会は、大家族を称賛する世論を作り上げることを視野に入れた、家庭の教育的社会的経済的役割について学ぶグループ活動を賞賛しました。すでに様々な使徒職手段(幼稚園、学校、クラブ、大学、学生寮)に関わっている人たちの世話に、さらなる力を注ぐことも適当でしょう。

ドン・ハビエルが力を入れていたファミリー・オリエンテーションは、有用な取り組みであり続けています。というのも、夫婦間の愛と命の尊厳を強める効果が歴然としており、家族の自然な姿から、キリスト信者の霊的空間として家族の喜びが醸し出されるからです。様々な企画を通して、より多くの若い家族に近づき、広範な形成のための活動が実現されます。こうして多くの人が、キリストと教会の一致(エフェソ5:32参照)のしるしである結婚の秘跡の美しさを理解するようになります。秘跡によって、聖霊による平和と喜びが家庭にもたらされます。両親相互の愛において、典礼と教会の交わりと同様に、「神はわたしたちを愛し、わたしたちに神の愛を見させ、また感じさせます。このように神が『まず愛する』からこそ、わたしたちの内にこの愛へのこたえが芽生えるのです」[25]

22. 総会は、近年特に際立つ使徒職の分野を指摘することを望みました。それは伝統あるカトリックの諸国(例えば、フィリピン、ラテンアメリカ諸国、ポーランドなど)からの移民が増えている現実に即したことで、そのような人たちの信仰を深め、人間としての内的外的形成を与えることです。これは、その人たちがキリスト者としての自己を改善するのを助けるだけでなく、移住先の国における福音化のための真のパン種(ルカ13:20参照)になるからです。司教から属人区に所属する司祭に委ねられた教会が世界中に数多くありますが、当該教区の司教の司牧計画に従いつつ、この活動を効果的に支援することができるでしょう。

オプス・デイは私たちの手中にある

23. これらの使徒職を推進するのは、ヌメラリーやアソシエートだけではありません。スーパーヌメラリーも責任を自覚するべきです。彼らが、オプス・デイを自分の子どもの一人のように、自分のものと感じるよう助けなければなりません。ある時、創立者が言われました。「皆で、多くの悲しみを取り除き、文化を与え、平和を与え、衝突やいさかいを避けることができます。そして、憎しみではなく、キリスト者としての高貴なまなざしで見るように人々を導くことができるでしょう」[26]。スーパーヌメラリーたちは、「全面的な形成を与えることを直接の目的」[27] として聖ラファエル職に熱心に協力することが期待されています。スーパーヌメラリーたち自身が、青少年のためのクラブその他の文化活動を創設し維持することが普通に、一部では通常のやり方として行われています。

型にはめたり押し付けたりすることなく、ふさわしい形成を与えた結果として、賢明で的確であれば、スーパーヌメラリーたちは、ヌメラリーやアソシエートの召し出しのため神に協力することになります。この展望の下に、一人ひとりの自由をどこまでも尊重し、すべてを神の御手に委ねつつ、特に自分の子どもたちのために祈るのです。

聖ガブリエル職では、多くのところで、個人的で定期的な霊的指導を行うため、また年の黙想会の世話や、センターがまだないところでの使徒職を推進するための、グループの世話役のスーパーヌメラリーを増やすことがふさわしいでしょう。また、一定の使徒職活動のための仕事のグループやチームに積極的に関わるアソシエートやスーパーヌメラリーの数を増やすように努めましょう。そのための形成がスムーズに進むためにふさわしい材料を、種々の言語で準備することが大切です。

若者との使徒職

24. 一般総会は、「瞳のように大切な」[28] 聖ラファエル職の重要さを指摘しました。あらゆるタイプの若者との使徒職を進展させる一般的、また特別な方法を優先させることが求められます。神の恩恵によって、若いヌメラリーとアソシエートの召し出しの温床となるからです。属人区のすべての信徒と聖十字架の司祭会の会員は、祈りと犠牲と活動によって、より多くの若者に近づくためにどのような協力ができるかを考えるべきです。

聖ラファエル職の形成で最優先にするべきことは、若者たちが「祈りの人」[29] となるよう助けることです。そのためには、どのように神に向かって話し、神に耳を傾けるかを、具体的に教えなければなりません。また、人間的であると同時に超自然的でもある真の友情の価値や勉強の大切さを教え、読書と専門職における高評価が教会と社会に奉仕するための素晴らしい手段だと自覚させることです。総会は、青春時代に培うべき諸徳の中でも、剛毅とたくましさ、節制(例えば、テクノロジーの賢明かつ控え目な使い方)、そして奉仕の精神を育むあらゆる方法に着目しました。若者が、自分の信仰を理解し、主に従うことから派生する事柄を具体的に受け取り、それを家庭において、また友情や社会的な関わりの中で実践するよう助けることが大切です。

25. 若者たちとその親たちに対して、分かたれない心で全面的に自己を主に捧げることの価値と素晴らしさを発見させると同時に、キリスト者としての家庭を作る召し出しの美しさを見出すよう良く手伝うことです。大学生対象の使徒職をしている聖ラファエル職のセンターでは、様々の手法を使って、婚約や結婚に関しての多様な側面を取り上げるのは価値あることです。例えば、スーパーヌメラリーの経験談や独身者向けのファミリー・オリエンテーションのコース、講演や映写会、有用な読書など。多くのキリスト教的家庭の模範が早急に必要ですが、婚約する以前から、福音宣教の使命を帯びているキリスト者の家庭、すなわち「信仰・希望・愛の共同体」[30] を心から尊び、深い信仰と共にこの召し出しの準備に取り組むことです。

26. 大学生、若い独身あるいは結婚したばかりの社会人たちとの使徒職を熱心に続け、その多くが、特に学校、クラブや聖ラファエル職のセンターなどでの使徒職活動でかつて受けた形成を活用することです。その点から考えて、専門職的に学校の同窓会を組織し、率先力と創造性を持ってその運営に取り組み、聖ガブリエル職につながるような魅力的な形を展開し、多くの人が協力者として協力するように促すことが期待されています。

27. 聖ラファエル職と聖ガブリエル職の形成の手段において、精神的あるいは身体的な慈善のわざを推進していくのは良いことです。それは教会の変わらない教えであり、聖ホセマリアが実践し、教皇フランシスコが模範と言葉で勧めて来られたことです。連帯に関わる個人的な活動や企画、困っている人たちへの奉仕、社会的な責任は、応急的や副次的なものではなく、福音の中心的な教えです。例えば、コースや講演を通して教会の社会教説の理解を深めることは、社会の過剰な不均衡の背景を理解する助けになるでしょう。

28. 使徒職活動である大学においては、国際的な影響を持つ研究を推進し、世界的に著名な知識人たちと協力する場を創ることが必要です。そうすれば、人間についてのキリスト教的観点に一致した科学上の理論的枠組みと概念のモデルを展開していく助けとなるでしょうし、このような視点こそが平和と社会正義の促進のために必要であることが明らかになるでしょう。すべての人たちに向けられたこの奉仕的活動は、当然のことながら、他の大学機関の研究者たちとの友情を培うことにも表されるでしょう。

いくつかの優先点

29. 総会は、属人区の恒常的な使徒職の開始が次第に近づいている新しい国々だけでなく、すでに活動が定着している国の中で、国際的な組織や知識階級のリーダーたちの中心であり、将来の社会構成に対する大きな影響力を持ついくつかの場所における使徒職の進展を目指すことを勧めています。

また、総会は、教会と人々の役に立つために、聖ホセマリアの全著作の出版と、それに対応する歴史資料の研究を継続するよう勧めています。具体的には、様々な観点(学術的、神学的、社会学的、霊的)から、聖ホセマリアのメッセージの核心である神の子どもとしての仕事 ―それこそが聖性の〈支柱〉、使徒職の自然な領域であり、教会と社会のために多くの実りをもたらすもの― について解明していくことです。

30. そろそろ終わりに近づきました。ここまでを読み終えて、総会が出した多くの結論に関して自問することができるでしょう。歴史の中で、世界の、教会の、そしてオプス・デイの今という瞬間に、神は何を優先するよう示しておられるのだろうか、と。答えは明らかです。まず、御父のいつくしみのみ顔であるイエス・キリストを観想することから始めて、愛している者としての細やかさをもって、神との一致に心を配ることです。聖ホセマリアの「あなたがキリストを尋ね、キリストに出会い、キリストを愛するように」[31] という勧めはいつでも有効です。オプス・デイの使徒職活動は、内的生活の満ち溢れであり、これからもそうあるべきです。子どもたちよ、今は、私たちが社会の真っただ中での観想の道にますます熱心に邁進する時です。

31. 教会は、ここ数十年来、二つの優先点に母としての心配りをしてきました。すなわち、家族と若者です。私たちも教会の〈小さな部分〉として、家族がいつくしみに満ちた神のご計画を全面的に受け入れ、それに忠実に応えるようにという近年の歴代教皇の尽力を支持していきたいと望んでいます。同時に、若者たちが持つ、愛と奉仕の夢が実現されるよう助けなければなりません。総会の様々の結論は家族と若者に寄り添うことが緊急課題であることを示しています。そこから私たちの日々の使徒職のための具体的な結論を引き出すことができるでしょう。

これらの優先点とともに、皆が、現代の人々、特に弱い人たちの窮乏、痛みや苦しみを感じ取る広い心 ―主のみ心と同じぐらい広い心にしてくださるよう主に願います― を持つことが急務であることを強調したいと思います。現代の貧しさは色々な形をしています。無視されている病人や老人、多くの人が見放されていると感じる孤独感、難民たちの悲劇、多くの場合天に向かって叫ぶ不正の結果として人類の大きな部分が味わっている貧困などです。このいずれに対しても無関心であってはなりません。私の子どもたち皆が、困っているすべての兄弟たちに神のいつくしみの香油を届けようという「愛の夢」[32] を実現させようとしていることを知っています。「私たちのあの友が言っていた。『貧しい人々こそ、私にとって最良の霊的読書であり、祈りの主たる動機です。彼らを見ると心が痛みます。その人々と共におられるキリストを思って辛くなります。そして、心の痛みを感じることから、私が主とその人々を愛していることが分かります』」[33]

32. 総会は、伝え終えたばかりのこれらの結論を、全面的に聖母の御手に委ねることにしました。その母としての執り成しによってのみ、イエス・キリストの弟子としての私たちに託された心躍る使命に邁進することができます。聖母は、今日2月14日に属人区固有の暦[34]で祝う、Mater pulchræ dilectionis 麗しい愛の御母であられます。神は、1930年と1943年の同じ日に、オプス・デイの女性の召し出しと司祭たちのための場所を聖ホセマリアにお示しになりました。こうして、オプス・デイの一致、「組織されない組織」[35] の一致、何よりも神の愛と「神の御母であり私たちの母」[36] である聖母の子どもたち皆が支え合っていることに由来する一致が固められたのです。

荘厳な顕示台に安置された主の御前で感謝のTe Deumを今日歌った際に、皆さんのことを思い起こしました。「聖体拝領、一致、交わり、打ち明け話。〈言葉〉、〈パン〉、〈愛〉」[37]。今は「パンと言葉」のうちに隠れ、世の終わりに来られるイエス・キリストのことを思い、私たちを助けに来てくださるよう願い、あなた方皆を主のいつくしみに委ねました。

33. 子どもたちよ、美しく、しかし同時に多くの傷に覆われているこの世界において、誰かが時に孤独を感じることがあるならば、パドレが本当にその人のために祈り、聖徒の交わりのうちに共にいることを思い出してください。そういう意味で、私は好んで、神殿での幼子の奉献の典礼賛歌を思い起こします。今月の2日にその祝日を祝いました。賛歌は、シメオンがイエスを腕に抱いたのですが、実際は、その逆であると歌っています。Senex Puerum portabat, Puer autem senem regebat.[38] 老人は幼子イエスを抱きましたが、その幼子こそが老人を支え、導いていたのです。このように、時に私たちが重荷だと感じることがあっても、神が支えてくださっています。「幸いな聖徒の交わり」[39] を通して私たちを支えてくださっているのです。

Per singulos dies, benedicimus te, 主よ、来る日も来る日も、〈日々〉全教会と共に御身を称えます。聖ホセマリアと福者アルバロの忠実な息子であったドン・ハビエルはこう繰り返すことが好きでした。愛そのものであられる神にすべてを委ねて歩むため普段の戦いに努力する忠実な息子であると、語っていました。愛であられる神の御母、聖母の御手を通して、至聖なる神に心を向けます。主よ、私たちが日々、御身の愛への信仰のうちに、常に新たな愛で応え、喜びに満ちた希望のうちに生きるようにしてください。

心からの愛情をもって祝福を送ります。

皆さんのパドレ

フェルナンド

ローマ、2017年2月14日

麗しい愛の御母、聖マリアの祝日


[1] 聖ホセマリア、『知識の香』132番。

[2] 教皇フランシスコ、2013年11月24日、使徒的勧告『福音の喜び』参照。

[3] 聖ホセマリア、『道』833番。

[4] 聖ヨハネ・パウロ二世、1980年3月23日、説教。第二バチカン公会議『現代世界憲章』22番参照。

[5] ローマ・ミサ典礼書、聖人の第一叙唱参照。

[6] ドン・ハビエル、2002年11月28日、手紙18番。“Cartas de familia” V, n.125. 1936年5月31日『指導指針』66番参照。

[7] 聖ホセマリア、1967年2月6日、家族の集まりでのメモ。(1967年『ノティシアス』84ページ)

[8] 聖ホセマリア、『神の朋友』67番。

[9] 聖ホセマリア、1962年4月1日、説教のメモ。

[10] 聖ホセマリア、1941年12月8日、『指導指針』注122。

[11] 聖ホセマリア、『鍛』270番参照。

[12] 聖ホセマリア、1935年5月/1950年9月14日、『指導指針』15番。

[13] 教皇フランシスコ、2013年11月24日、使徒的勧告『福音の喜び』20番。

[14] 聖ホセマリア、『鍛』565番。

[15] 聖ホセマリア、1940年3月11日、手紙55番。

[16] 聖ホセマリア、『知識の香』30番。

[17] 福者アルバロ、1985年12月1日、手紙、『家族の手紙』I巻204番。

[18] 聖ホセマリア、『道』372番。

[19] 聖ホセマリア、『神の朋友』226番。

[20] フランシスコ、2016年11月20日、使徒的書簡10番参照。

[21] 聖ホセマリア、1935年5月/1950年9月14日、『指導指針』注5。

[22] ドン・ハビエル、2001年11月28日、手紙11番。「家族の手紙」V、118番。

[23] 福者パウロ六世、1975年12月8日、使徒的勧告『福音宣教』41番。

[24] 教皇フランシスコ、2015年5月24日、回勅『ラウダート・シ』213番。

[25] ベネディクト十六世、2005年12月25日、回勅『神は愛』17番;1ヨハネ4:10参照。

[26] 聖ホセマリア、1974年6月18日、家族の集まりでのメモ。『アメリカでの要理指導』(1974)第一巻、549ページに収録。

[27] 聖ホセマリア、1942年10月24日、手紙3番。

[28] 同上、70番。

[29] 同上、5番。

[30] 『カトリック教会のカテキズム』、2204番。

[31] 聖ホセマリア、『道』382番。

[32] 聖ヨハネ・パウロ二世、2001年1月6日、使徒的書簡『新千年期の初めに』50番。

[33] 聖ホセマリア、『拓』827番。

[34] 典礼秘跡省、教令626/12/L、10-XI-2012参照。

[35] 聖ホセマリア、『対話』19番。

[36] 聖ホセマリア、『鍛』11番。

[37] 聖ホセマリア、『道』535番。

[38] 『教会の祈り』、主の奉献の祝日前晩、福音の歌の交唱。

[39] 聖ホセマリア、『拓』56番。


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