属人区長のメッセージ(2017年7月7日」)

主は私たちキリスト者に期待しておられるのは、本来持っている清さと同時に喜びに満ちた新しさを持つ福音をすべての人たちにもたらすことです。

ファティマにおいて皆さん全員と共に祈りつつ、私たちの天のみ母のみ前で、私たちの世界における、複雑であると同時に魅力的な幾つかの挑戦について見直していました。主は私たちキリスト者に、今日何を期待しておられるのでしょうか。人々の不安や困窮と出会うために、また、本来持っている清さと同時に喜びに満ちた新しさを持つ福音をすべての人たちにもたらすため、出向いていくことです。歴史を航海していくキリスト者の姿をかいま見ることができる、ティベリア湖における二度の漁の場面が、この役目に指標を与えてくれています。それは、大胆になるようにとの主からの熱意に満ちた招き ―「沖に漕ぎ出しなさい」(ルカ5:4)― と、イエスの姿を認めることができるようにさせる注意深く心のこもった忠実さの表れである、愛する弟子の「主だ!」という言葉です。

世界という海に漕ぎ出すということは、その時期の情勢に福音のメッセージや精神を合わせることではありません。なぜなら、福音はあらゆる状況に光を与えるだけの力を自身の中に持ち合わせているからです。むしろ、各自が持っている霊的、知的な資力、仕事の能力や人生経験、あるいは限界や欠点などを活かして、すべての人間活動の頂点にキリストを置くという大いなる務めにより深く、より良く協力する方法を見つけるための努力をするようにという、一人ひとりに対する呼びかけなのです。そのためには、私たちが生きているこの時代について、また、この時代を貫く潮流、特徴的な原動力、今の時代を苦しめている時には重大な不正義や限界などを深く知ることが必要です。そして何よりも、祈りと秘跡におけるイエスとの個人的な一致が必要です。そうして初めて私たちは、同時代を生きる人たちの心の扉を愛をもって叩くために、聖霊の働きにゆだね続けることが可能となるのです。

(フェルナンド)

エンショミル(ポルトガル)、2017年7月7日

PDFクリック