第一章:この世界を愛した司祭 (11.Q05)

1.私は無価値なみじめな者、しかし価値ある愛で一杯の者 (11.Q05)

 11.Q05 - 同じように、司祭への召し出しとオプス・デイへの招きを疑うことはありませんでした。

  11.A05 - 神への愛から、召し出しを「いじりまわしてはならない」と繰り返していました。その全生活には「一度も神の愛を疑ったことはない」という言葉が、心と行いにリトルネロのように反複されていました。

司祭への召し出しは、困難や失望あるいは失敗が原因になって決めたのでもなく、社会的事情や家庭の出来事の影響を受けて決めたのでもありません。父上の事業の失敗や引越しを余儀なくされたことや、その他の理由から、人生に恐れを抱き、孤立して生きることに憧れたからではありません。ましてや、将来に不安を抱いたからではないのです。神学生時代も、意気消沈したり失望したりする危機はありませんでした。

司祭叙階を四ヶ月後に控えた1924年11月27日、ホセ・エスクリバー氏が急逝されました。ずいぶん後になって、この特別に大変だった時期について次のように語るのを私は聞きました。「父の死がそれより数ヶ月前だったら、確かに私は自分の道について再考の必要を感じたでしょう。しかし、副助祭に叙階された後でしたから、一瞬たりとも自分の道を疑ったりはしませんでした。」この言葉からして、疑いの陰さえもなかったことが肯かれます。