​44. 聖パウロとはどのような人でしたか?

イエスの教えをどのように伝えましたか?  パウロはヘブライ人のユダヤ教徒で、パウロとはサウロのギリシャ名です。

キリストを知る

現在のトルコ南東に位置するキリキア州のタルソス出身のパウロは西暦1世紀の人物です。パウロはキリストと同時代に生きていましたが、実際に出遭ったことはなかったようです。


 タルソのサウロは、1世紀のユダヤ教の一派であるファイリサイ派の教育を受けました。サウロ自身が書いた書簡の1つであるガラテアの教会への手紙によると、サウロのユダヤ教に対する情熱が新興グループであるキリスト教徒への迫害に向かわせたようです(ガラテア1,13-14)。サウロはダマスコ途上でイエスに出遭うまで、キリスト教徒はユダヤ教の純粋さに反するものと考えていました。その時イエスは、他の使徒たちの場合と同じく、自らをサウロに示し、付き従うよう招きました。サウロはその呼びかけに応えて洗礼を受け、生涯をかけてイエス・キリストの福音を告げ知らせることになります(使徒言行録26,4-18)。

 パウロの回心はその生涯の鍵の一つです。正にその時から、教会がキリストの体であるという点を理解し始めたからです。すなわち、一人のキリスト者を迫害することはイエスを迫害することであると悟ったのです。同じメッセージの中で、イエスは自らを「復活した者」として示しました。イエスの足跡を歩むすべての人が死後迎える状態です。さらにイエスは自らを「主」(ギリシャ語では「キリエ」)として示しました。この言葉はギリシャ語聖書において、神ご自身を表すために使われます。これによって、イエスは自らが神であることを明らかにしたのです。こうして、パウロは宣べ伝えるべき福音を、イエス自身を宣べ伝えることとして受け取ったと言うことができます。ただしその後、恩恵の助けと、また自らの考察を通して、福音に含まれている主な真理を最初に受けた光から引き出して行きました。それは神の神秘をより深く理解するためであり、またキリストに対する信仰をもつ人々と持たない人々の状態を示し、各々が取るべき行動を導き出すためでした。

 回心したときのパウロは、非常に具体的な使命が与えられた預言者の姿で描かれています。新約聖書の書である使徒言行録によると、パウロに洗礼を授けるはずのアナニアに主はこう言われました。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、私が選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう」(使徒言行9,15-16)。主はパウロ自身にも言われました。「わたしはあなたが迫害しているイエスである。起き上がれ。自分の足で立て。わたしがあなたに現われたのは、あなたがわたしを見たこと、そしてこれからわたしが示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人にするためである。わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす。それは、彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち帰らせ、こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なるものとされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである」(使徒言行録26,15-18)。

 聖パウロは救いの道を説く使命を成し遂げました。その活動は使徒として旅行し、ローマ帝国の様々な州でキリスト教共同体を設立し、固めてゆきました。旅行をしたところはガラテア、アジア、マケドニア、アカイア等です。新約聖書の記述は作家であり説教者パウロの姿を表しています。パウロはある場所に着くと福音を宣べ伝えるために先ずユダヤ人の集会所であるシナゴーグに行きました。その後にユダヤ人でない異教徒のところに行きました。ある場所を立ち去った後、福音宣教が完全に終わらなかった場合や、訪問した共同体から送られてきた質問に答える場合にパウロは手紙を書き始め、それは格別の畏敬をもって各教会ですぐに受け入れられました。パウロは共同体全体に宛てた手紙と個人宛ての手紙を書いています。新約聖書にはパウロの説教を出所とする14の手紙があります、それらはローマの信徒への手紙、2通のコリントの信徒への手紙、ガラテアの信徒への手紙、エフェソの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙、2通のテサロニケの信徒への手紙、2通のテモテへの手紙、テトスへの手紙、フィレモンへの手紙、ヘブライ人への手紙です。これらの手紙の書かれた時期を確認することは容易ではありませんが、多くの手紙は西暦50年から60年にかけて書かれたと言えます。

 パウロが宣べ伝えた教えの中心は、人間の救いのために行動したイエス・キリストの姿です。御父と聖霊との緊密な一致の内にキリストが行った人間の罪の贖いは、人間のおかれていた状態にも、また、人間と神との関係においても、転換点を刻むことになります。贖い以前は人間は罪の道を歩み、ますます神から遠ざかっていました。しかし今や復活し死と罪を克服し、信じて洗礼を受けた人たちと一つになった主(キリエ)がおられます。この意味で、パウロの神学を理解するための鍵は回心(メタノイア)であると言えるでしょう。すなわち、無知から信仰への、モーセの律法からキリストの掟への、罪から恩恵への回心なのです。