​42. アリマタヤのヨセフとはどのような人でしたか?

アリマタヤのヨセフはイエスの受難と死に関して4つの福音書の中で登場します。彼はユダヤの町アリマタヤ(ヘブライ語でArmathajim)の出身でした。

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この町は、リッダの北東10kmにある現在のレンティスで、旧約時代の預言者サムエルが生まれた所です(1サムエル1,1)。金持ちで(マテオ27,57)、サンヘドリン(最高法院)の身分の高い議員(マルコ15,43; ルカ23,50)であったヨセフは、エルサレムのゴルゴタの近くに、岩に掘られた新しい墓を持っていました。彼はイエスの弟子でしたが、ユダヤの権力者を恐れてそのことを隠していました(ヨハネ19,38)。ルカは、ヨセフが神の国を待ち望んでいてサンヘドリンでのイエスの非難決議には同意しなかったと書いています(ルカ23,51)。残忍な十字架刑が執行される際、彼は恐れずローマ総督ピラトの所に行きイエスの遺体の引き渡しを願い出ました(2世紀の外典『ペトロの福音書』2,1; 6,23-24によると、ヨセフはイエスが十字架につけられる前に願い出たとあります)。ヨセフは総督の許可を得て、イエスの体を十字架から取り外して清潔なシーツに包み、ニコデモの手を借りて、まだ誰も使ったことのない自分の墓に安置しました。そして大きな岩でその墓を閉じてその場を立ち去りました(マテオ27,57-60, マルコ15,42-46, ルカ23,50-53, ヨハネ19,38-42)。ここまでは歴史的資料に基づきます。


 4世紀以降にヨセフという人物を称賛する空想の伝説が生まれました。5世紀の外典『ピラト言行録』(別名は『ニコデモの福音書』)が語るところによるとユダヤ人はヨセフとニコデモがイエスのために取った行動を非難し、それによりヨセフは投獄されました。ヨセフは奇跡的に自由の身となりアリマタヤに現われました。そこからエルサレムに戻りイエスのおかげで自由の身にされたと語っています。ヨセフについて、より大きく語っている伝説は、イングランドとアクイタニナ(古代ローマのガリア四属州の1つ)で広く読まれた、4世紀に書かれたと思われる『救世主の復讐(Vindicta Salvatoris)』という文学作品です。その作品のなかで、テトスがイエスの死の復讐をするために軍隊の先頭に立って行進している姿が語られています。彼はエルサレムを征服する時に、塔に閉じ込められていたヨセフに遭遇しました。反対者たちはヨセフを餓死させようとしていたのでした。しかし、ヨセフは天の食事を与えられて生き延びていたという話です。

 11~13世紀ごろ、アリマタヤのヨセフの伝説はブリテン島やフランスで聖杯伝説やアーサー王物語に挿入される形で再び詳しく彩られました。それらの伝説の一つによると、ヨセフはイエスの体を洗い、容器の中にその水と血を集めました。その後、ヨセフとニコデモはその水と血を二人で分けました(質問48.「聖杯とは何か」を参照)。もう一つの伝説が語るところによれば、ヨセフはこの遺品を携えてフランス(いくつかの伝説ではマルタ、マリア、そしてラザロと一緒にマルセーユで船を降りたと語られています)、スペイン(そこではヤコブにより司教に叙階されたと記されています)、ポルトガル、そしてイギリスで布教をしました。この最後の土地では、ヨセフという人物は非常に人気を博しました。伝説では、彼はブリテン、具体的にはグラストンベリー・トールでの最初の教会の創設者になりました。そこでは彼が寝ている間に彼の杖から根が生えて花が咲いたと伝えられています。グラストンベリー修道院は宗教改革のあおりで、1539年に解散されるまで、重要な巡礼地になっていました。フランスの伝説によると、シャルル・マーニュの時代、エルサレムの総大司教フォルトゥナトはアリマタヤのヨセフの遺骨を持って西方に逃げ、モワヤンムティエの修道院にたどり着き、そこで修道院長になったということです。

 これらの伝説には歴史的根拠はありませんが、イエスの最初の弟子たちが重視されていたことを示しています。これらの物語の展開は、イギリスやフランスといった特定の地域の人々が、ローマに対してライバル意識を持っていたことと関係するのではないかと思われています。これらの地域では、ローマから派遣された宣教師によってではなくイエスの弟子たちにより布教されたことを示したかったのであろうと言うわけです。しかしながら、アリマタヤのヨセフをめぐる記述は歴史的事実とは関係ありません。