28. マグダラのマリアはどのような人ですか?

東方教会においては「亜使徒」(使徒と同等の働きをした者)と呼ばれ、西方教会では「使徒たちへの使徒」と呼ばれています。

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 福音書から得られる資料は簡単なものです。ルカ8,2が伝えるところによると、イエスにつき従い自分たちの持ち物を出して奉仕した婦人たちの中にマグダラのマリアがいました。彼女の名はマリアと呼ばれ、ギリシャ語でタリケアと呼ばれるマグダラという町の出身でした。この町はティベリアの北5.5kmにあり、ガリラヤ湖に面した小さな町でした。イエスは彼女から7つの悪霊を追い出し(ルカ8,2;マルコ16,9)ました。これは「全ての悪霊」追い出したことを意味します。この表現は悪霊に取りつかれていたと解釈できますが、また肉体的か精神的な病気にかかっていたとも解釈できます。

 共観福音書は彼女が、イエスが十字架につけられるのを遠くから見守り(マルコ15,40-41 等.)、イエスが埋葬されるのを見つめ(マルコ15,47)、そして墓の方を向いて座っていた婦人たちの中で一番重要な人物として語っています。その福音書では以下のことを強調しています。週の初めの日の朝早くマグダラのマリアと他の婦人たちは買ったばかりの香料を持ってイエスの体に油を塗るために墓に戻りました(マルコ16,1-7等)。そこで、一人の天使が彼女たちに、イエスは復活したのでこのことを他の弟子たちに伝えるよう依頼しました(マルコ16,1-7等)。

 聖ヨハネは若干異なった形で同じ事柄を語っています。マグダラのマリアは、聖母マリアと一緒に十字架のそばにいました(ヨハネ19,25)。週の初めの日、朝早くまだ暗いうちにマグダラのマリアは墓に行きました。そして、墓から石が取りのけてあるのを見ました。そこで、誰かがイエスの体を取り去ったと思い、ペトロに告げに行きました(ヨハネ20,1-2)。墓に戻り泣いていると、イエスが立っているのが見え、イエスは父である神のところに戻ることを弟子たちに告げるようマリアに言いました(ヨハネ20,11-18)。これは彼女にとって名誉なことでした。そのため彼女は、東方教会においては「亜使徒」(使徒と同等の働きをした者)と呼ばれ、西方教会では「使徒たちへの使徒」と呼ばれています。東方には、彼女はエフェソに埋葬され、その遺体は9世紀にコンスタンティノープルへ運ばれたとの言い伝えがあります。

 マグダラのマリアは、しばしば福音書に登場する他の女性と同一視されることがありました。6~7世紀頃からラテン教会では、マグダラのマリアをガリラヤのファリサイ派のシモンの家でイエスの足を涙で濡らし香油を塗った罪深い女性とする傾向がありました(ルカ7,36-50)。他方、一部の教父や教会の著述家たちは、この罪深い女性を、ベタニアでイエスの頭に香油を塗ったラザロの姉妹マリアであると考えました(ヨハネ12,1-11)。マタイおよびマルコの並行箇所ではマリアの名前は出てこず、一人の女性が重い皮膚病を患ったシモンの家でイエスに塗油を行ったと語っています(マタイ26,6等)。結果として、大聖グレゴリオ教皇の見解も影響し、西方教会においては前述の三人の女性を同一視する考えが広まりました。しかしながら、福音書では、ラザロの姉妹マリアと思われるベタニアでイエスに塗油を行ったマリア(ヨハネ12,2-3)を、マグダラのマリアと同一視できる資料は示されていません。また、ルカ7,36-49に登場する罪深い女性をマグダラのマリアと同一視できる資料も見出せません。しかしながら、ルカ福音書では、イエスがその女性をゆるされた直後に、イエスに奉仕する幾人かの女性について述べており、その中に七つの悪霊を追い出していただいたマグダラのマリアもいたと書かれています(ルカ8,2)。更に、イエスはその罪深い女性を「この人が多くの罪が赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる」(ルカ7,47)と、称賛され、この言葉に呼応するように、マグダラのマリアが復活したイエスに会ったときに示した大きな愛を福音書の記述から読み取ることができます(ヨハネ20,14-18)。これらの記述から、罪深い女性とマグダラのマリアを同じ女性として考えるようになったのでしょう。いずれにしても、マグダラのマリアが罪深い女性だったとしても、その過去は不名誉なことではありません。ペトロはイエスに不忠実でしたし、パウロはキリスト教の迫害者でした。彼らの偉大さは、罪を犯さないことにあるのではなく、キリストへの愛にあったのです。

 教会の教父や教会の著述家たちは、マグダラのマリアを、キリストの弟子として、また、福音の宣教者として傑出した女性として扱っています。福音書の中でマグダラのマリアの役割は傑出していたので、初代教会の一部のグループから特別な注目を集めました。それは基本的に異端的なグノーシス主義の影響を受けた人々でした。彼らが残した文献は、復活したイエスが残した秘密の啓示を集めており、その教えはマグダラのマリアを通して伝えられたというものです。そこに記されている内容は、歴史的な裏付けのない物語です。10世紀頃に、マグダラのマリアを称揚する架空の物語が、特にフランスで広まりました。歴史的には根拠のない伝説ですが、それによるとマグダラのマリアとラザロと数人の信者は、キリスト教への迫害がはじまったときエルサレムからマルセーユに移りプロヴァンスで宣教をしたということです。この伝説によるとマグダラのマリアは、エクサンプロヴァンスあるいはサント・マキシムで亡くなり、その遺体はヴェズレーに移されたということです。